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誤記修正

 投稿者:ごくう  投稿日:2020年 2月 8日(土)15時42分16秒
  とんだ書き間違いをしていました。
先の「織田信康」のページ

 天文十三(1544)年9月22日…(中略)…討死者の中に名が本編の織田信康とともに記載されている。

と、しておきながら文末は
 没日、天文十三(1555)年九月二十二日

これ
 歿日、天文十三(1544)年九月二十二日
の間違いですね。…なんで 1455と打ってしまったんだろう。
本日修正。
 
 

織田信康

 投稿者:ごくう@ご隠居  投稿日:2020年 1月27日(月)16時52分31秒
  一ヶ月に2桁程度のアクセスしかない「織田信康」のページに1時間で3桁のアクセスがあった。
さすが大河ドラマ効果というか…
唐突に出てきたから「誰?」と思われたのか…。
 

投稿について

 投稿者:ごくう  投稿日:2020年 1月26日(日)14時48分52秒
編集済
  邇波様

すみません。
貴重な知識と見解を提示していただけるのは大変ありがたいのですが
ここは管理人と訪問者の意見交換や、このサイトを利用訪する問者相互の交流の為に設けられている掲示板なのです。

自身の研究成果や歴史認識を発表する場ではないのです。
そういう準備はしておりません。
そのあたり、ご理解いただけますと幸いです。

ご理解いただけない場合には投稿禁止や削除する場合もございます。
ご留意ください。
 

極秘

 投稿者:邇波  投稿日:2020年 1月25日(土)21時00分29秒
編集済
  邇波 彌母里の兄弟、明国彦(長脛彦)の子で、海 阿知の孫、乎の子、大野 大樹が大野氏を名乗り、その子が有名な小野 妹子です。

大樹に妹が居り、小島子と言う美しい娘が、倭 敏(敏達天皇の妃)大君の妻の1人にされます。

大樹は妹と近親相姦の関係に有り、妻と為った後に生まれた子に倭 敏大君は、自分の子では無いと主張し激怒し殺害し様とします。

騒ぎを聞きつけた婦人(稚綾媛)が、倭 敏大君を諌め許させ子を大樹に返します。小野 妹子の実名は、大野 毛人と言います。

宇麻志摩治=浦嶼氏


倭 得玉―浦嶼 弟彦―金―坂合―草香

草香の姉妹 間子は、倭 王済の妻、子女等は 興、広、関です。

広は、倭王 武(応神帝)の妻、
*関は倭王 継(継体帝)の妻です。

*関(目子媛=メノコ・・女の子の意味 エドム語)

倭王の二人は、伯済の息子で扶餘王族に入婿しました。

異母兄が傀儡王として即位しますが、危険人物と判断され合議政治の実質的な王、邇波 彌母里から暗殺指令が出ます。未遂に終わり逆に館に立て籠り火矢で焼き討ちに合います。 彌母里の兄弟、明国彦は怒り、倭 武は反撃され苦境に立たされます。

物 目は、倭 武を支援し邇波 明国彦を暗殺して、明国彦配下の精鋭を父坂合が組織したスキタイの矢の部隊で壊滅させた功績で香具山の管理者と為ります。

浦嶼 弟彦―金―坂合―物 目 (物部氏 遠祖)

東谷山から天香具山へは、鹿乗の船着き場から、犠牲の鹿(花鹿)を乗せて向かいます。

忌 子萬呂は、645年に倭 建の即位式の為、三野後国の香具山に神幣賦課。

神宝(鏡、玉、鉾、楯、木幣、麻)調達氏族。天之香具山は、字の通り天の神に香を具える山で、神が香を嗅ぐ山でも有ります(創世記8章20~21節)。

頂上を切り開いて、祖先の上陸した地を見て(360度のパノラマ。天の神(ヤハウエ)に感謝して鹿の犠牲(寒羊を持ち込みましたが、草を食い尽くす為、鹿にされます)を捧げる山だったのです。祭壇は、切石が使えず、天香具山の土から煉瓦を作り【天香具山の土で平瓮ヒラカ(白瓷)】積み上げた物です(出エジプト20章24~25節)

戦勝祈願の際にも、同じ行為をしました。

紀記には、天香語山命が、高尾張(御春山)の対岸、高倉山*(天香具山)に降臨して往来したと言う。

*愛岐三山は、一ノ倉、二ノ倉、三ノ倉と呼ばれて居り物部氏と関連が有ります。
東谷山の傍らの高倉山は別です。

御春山(現東谷山)には、磐座多数。井戸の水位は、伊勢湾潮位に関係して居ると伝承存在。天之香具山に対して此方は地神を祀ります。

尾張國風土記逸文には、建岡君(邇波 彦。天香山坐櫛真智命神)が美濃國の花鹿山(天香具山)に登頂し、賢樹(榊)の枝で縵カズラを作り『吾の縵が落ちたところに神あり』(ト事占兆)と、言って投げ、縵の落ちた方向に、地神を祀る場所(御嶽ウタキ祭祀施設)として居ります。

其れが由来となって縵の里と言うと、有り蔓木(葛城)邑と蔓木山ですが、扶餘王族が来たのを邇波彦が見て迎えに出たのが4月故に御春山(春日山)と呼ばれます。春日部の発音は粕壁の意味合いです。
 

極秘(世界破滅前の特別流出)

 投稿者:邇波  投稿日:2020年 1月25日(土)20時15分5秒
編集済
  大国主と大物主は政治的な政略結婚の関係

大国主は花婿(田縣神社)
土着民の豪族邇波氏
合議政治の実質的な王(大人)

大物主は花嫁(大縣神社)
渡来の扶餘王家
渡来の烏桓王家
合議政治の傀儡王(大君)

表記された直接的氏族名

宗形(宗像)氏・・・ムナ(任命)、カタン(花婿) ヘブライ語
邇波氏直系の蔓木氏系、宗形氏

源 神野天皇(嵯峨帝)から改竄され始めた
記紀の主張に沿い宗形 千世(滋野 貞主)を難波氏へ改姓させます。

蔓木 垂見 尾治国造
蔓木 摩理勢 尾治国造
蔓木 毛人 大倭国造
宗形 鳥萬呂 宗形国造
宗形 綿萬呂 宗形国造
太政大臣(吉備 真備)
宗形 滋光 太政大臣 967ー970
宗形 千世 太政大臣 978ー989
秘府略1000巻 撰集
源 清氏を猶子とする
難波改姓 難波転封

源 定省(宇多帝)天皇の子、清氏を筑前国司として下向させ猶子として大宮司の補佐をさせ千世を難波に転封して、清氏を宗形に改姓させます。
 

(無題)

 投稿者:ごくう  投稿日:2020年 1月21日(火)22時07分29秒
  すみません。
由来の幾つかは私の知るものと合致しますが、初めて見聞する事柄も多いです。
出典もお知らせいただけますと幸いです。
 

(無題)

 投稿者:邇波  投稿日:2020年 1月21日(火)18時17分43秒
  尾張水軍の統率者系譜

倭 旨―①御春 豊玉(塩見公)―②小舟―③安山―④宜坂(珍彦。倭 復姓。大倭国造の初代。 御春水軍は初代国造尾治 栗原に移管)

倭 得玉―浦嶼 弟彦―金―坂合―草香―⑤尾治 栗原―⑥多々見―⑦乎己志―⑧乎機与―⑨尾張 稚子(大隅)
 

(無題)

 投稿者:邇波  投稿日:2020年 1月21日(火)18時16分21秒
  所謂、出雲の国譲りの後、
侮られ珍彦と別名を付されます。 御春国は、ヘブライ語で終焉を意味する尾治と改めさせられ、尾治国とされます。

尾張国に倭 建天皇時代に変更します。御春とは、旧伊勢海が濃尾平野に入り込んで居た時代に邇波 彦(大彦命)が、扶餘王族の入国する船団(346年の春)を見た春から来てます。

現在の名古屋市守山区の東谷山で、一般的には尾張の発祥の地とだけ伝えられてます。
 

(無題)

 投稿者:邇波  投稿日:2020年 1月21日(火)18時15分30秒
  三野後国

三野(美濃)国の中で、三野後国の南端は、当時現在の高蔵寺付近で内陸部に入った海で決められて居ました。

香具(高倉。高倉下とは浦嶼 草香の事)山の対岸

南に御春国 蔓木縣
西に邇波縣

大野(小野)氏本拠地

御春国 邇波縣 大野山(小野山) 内陸の海が、尾張国時代(爾波縣)に巨大地震で陸上化しますと、犬や鵜を使って狩猟をする集団が、三川から移住して来て定着し始め、犬山と呼ばれる様に為ります。

宇麻志摩治=浦嶼(浦島)氏で香具山祭祀を行ってました。

記紀名の重複は間違いでは有りません。事績を分割して居ります。

尾治オハリは終焉(ヘブライ語)で御春から変化してます。

御春国の御春 宜坂は、倭 武大君暗殺未遂で窮地に立たされた邇波 彌母里や浦嶼 草香を救援するべく御春水軍を率いて来ますが、焼討ち後に到着して引き上げて仕舞います。

 

島田上縣、島田下縣

 投稿者:邇波  投稿日:2020年 1月21日(火)17時38分44秒
  天白区島田より名東区本郷以北迄内陸の海が入り
天白区島田より日進市以北迄内陸の海と為る。

島田より西側が草香島で、
日進市と名東区の間の北(長久手市)が島田上縣、島田より上が島田下縣と為ってました。

名古屋市の名古屋は名護 (沖縄県)
名子 (福井県 敦賀)
奈胡 (福井県 小浜)
奈古 (山口県 阿武)

砂浜海岸に在る魚子ナゴ(漁夫)屋です。

愛知県の愛知 由来

土着邇波氏(縄文人、エドム系)言語で、矢の多い所の意味。武器庫。

アイチ変遷 (郡号)

平安時代の和名抄に愛智の訓読は阿伊知と明記。 和銅年間に漢字は由来創作と一緒にされてます。読み方は最初からアイチです。

吾湯知→年魚市→年魚道→相津→愛育知→阿由知→愛知→愛智→愛知
 

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